読書の欠片ネタバレあり
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しゃべれども しゃべれども  [Edit]
2007-02-21 Wed
 阿川佐和子と響きが似てる上に壇ふみとの対談エッセイにありそうなタイトルなので(←言いがかり)ずっと混同してたんですが、噺家の小説だというので俄然読んでみたくなりました。つか10年も勘違いしてたのか自分。

 二ツ目の噺家・今昔亭三つ葉の元に集まった、それぞれ言葉で他人とコミュニケーションを取ることが不得手な4人の男女。成り行きで彼らに話し方教室代わりに落語を教えることになるものの、当人たちからは何とかしたいという切実な意識も一緒にいるんだから少しは仲良くなろうという気配も一向に感じられない。どこか諦めている。短気で言わなくていいことまでうかつにしゃべっては災難を招く質の三つ葉からすれば、言葉を手の中に握りこんで黙ってしまう人間のことを理解できないところがあるものの、元来のお人好しでとにかく生きにくそうな彼らを放っておけず、三つ葉の家の古い座敷で奇妙な落語教室は続く。ところが芸と恋の悩みから三つ葉自身が噺せなくなってしまい…?

 …読んで一週間も放置してしまうと何書くんだったか忘れてしまったのですが<殴。威勢のよさが売りの若手噺家が語り手なので、短い言葉で歯切れよくポンポンと繰り出される地の文がまず勢いがある。ところが話の方はそれとは逆にじれったいくらい立ち竦んでてじわりじわりと胸に溜まっていく感じ。その奇妙な対比がまず面白かったですねー。読み終わってからタイトルに戻ると、一生懸命足を動かしてもなかなか行きたい場所に辿り着けない、だけど前に進むのをやめられない、そういうここに出てくる人たちの姿が重なって、なんか噛み締めるような味わいがありました。

 4人の中では結局小学生の村林だけが、自分の置かれた状況を何とかしよう、何も変わらなかったとしても、自分がここにいることを表現しようと奮闘するわけですが、その姿が諦めきってた大人たちを確かに動かしたと思える。一足飛びに何かが変わるわけじゃないし、明日が今日よりマシになるという保証もない。だけど蝸牛のように進んでいく人がいたっていいんじゃない?と。落語という文化、寄席という空間、どちらも急ぎ過ぎの現代から少し外れたところにちゃんと残っているように、そんなじれったい人間にもちゃんと居場所はあるのだ、きっと。

 もっとも、4人の背を押したのはやっぱり三つ葉かな。なにせじれったい4人なので三つ葉のおせっかいも空回り気味のことも多いけど、自分も芸に悩み恋に悩みつつ立ち竦まないのが一味違うね。性格と言ってしまえばそれまでだけど、とりあえず思いついたことからはじめてみる。駄目な自分を見つめてみる。古典にこだわりながら真似じゃない自分をどう表現するのかー壁にぶち当たってもじっとはしていない三つ葉の、4人とは違うけどやっぱり不器用な生き方も好きだなやっぱり。なんだかんだ言って報われてくれるとうれしいわけですが、しかし一番報われたのが三つ葉っていうあたり、生徒を尻目に自分だけ芸も恋も手に入れていいのか?という気も少しする・笑。

 恋愛は…恋愛なのかこれは?というほどのささやか加減ですね。初恋のひとに比べればまだ十河の方がいいと思いますが。おくてにもほどがある…。映画は誰がやるんだっけね。ラストをあれにするなら、途中もうちょっとこう、ニブくてじれったい二人が見たかったかな。あ、でもほおずきシーンは印象的で好きでしたー。

しゃべれどもしゃべれども 佐藤多佳子(新潮文庫)
コメントを読む(2)
メロディ  by おむらよしえ
こんにちは、しゃべれどもしゃべれどものマンガ版が、12月発売のメロディ(白泉社)と、2/28発売のメロディの付属別冊としてついています。
これがなかなかよかったのでおすすめです。
  by banri
おむらさん、こんにちはです。
おおそれはタイムリーですね~映画になるからでしょうか。
どなたが描いてるんだろ、ひょっとして前後編かな。
12月のやつはさすがにもう捕獲できないかもだけど、今月号チェックしてみまーす。
ありがとうございます!
(世界樹気になってます、おもしろいですか?)


追記。
12月発売号、無事捕獲・笑
雰囲気ありましたね~^^
三つ葉の単純で人間好きなとこで救われるのがわかるかんじ。
十河とのほのかーな感じはマンガの方が好きかも~v
novel | 佐藤多佳子
CM:2 | TB:0 |
一瞬の風になれ 全3巻  [Edit]
2007-01-15 Mon
 昨年夏頃からの話題作だということを知って読んでみようかな?と思ったのがもう12月だったという本(遅)。実際読んだのはちょうど直木賞候補にノミネートされた直後になりました。で、読んだ感想は、うん、これなら胸張って取っちゃっていいんじゃない?と。でも直木賞だからこれじゃなくて次作であげるのよねーきっとと<殴(純粋に今の時点での評価という点で全然信頼してない直木賞。あ、明日発表か…)。まあ毎度のことながら他の候補作も読んでないし比べてどうこうじゃなく、これ単品として十分「一般文学賞」という重み(そんなのがあれば)に耐えられる作品と思います。高校生の一人称でスポーツものという児童文学テイストではじまりつつ、最後にはそれを超えたと。読み終わった後、年齢性別を超えた何かと受け取ったと思ったので。

 有名なサッカー選手で私立の強豪校からプロになる兄を持ち、自分もサッカー選手としてそこそこの素質を持っていながら本番ではなかなか結果の出せない弟・新二。中学3年生でとうとう兄を追いかけることを諦めてしまった新二は、幼なじみで天才的なスプリンターの素質を持ちながら部活に馴染めずぶらぶらしていた蓮と同じ高校へ進み、そこで陸上部に入ることになるー

 最初は、天才レベルが二人も出てくるし主人公だってなんだかんだ言って稀に見る才能の持ち主だし、所詮世界が違うわ~とちらっと思ったのですよ。ましてや天才どころか走ることに喜びを覚えたことなど一度もない私に、彼らの気持ちが理解できるんだろうかと。だけど、最初から陸上部員よりも速いという素質を持ちながら新二の目線はあくまで素人の私とほぼ同じで、その彼の高校3年間の「部活動」を3巻かけてゆっくりと追っていくうちに、いつの間にか天才と凡人との間のそんな壁はなくなってしまってたのでした。

 高校生男子の一人称はとっても「らしい」。時々文章としておかしいところも感覚的に違和感ないし、何より中盤から後半にかけてその身体感覚がビシビシ伝わってくるのがいい。学生時代陸上と聞くとうぇ~と思った私でさえ、その感覚に五感がシンクロするのがわかる。走るのは速くても陸上の走りは素人だった彼が少しずつ感覚を掴んで開眼していく道を一緒に連れていってもらったような。一生見るはずのない景色を見せてもらったような。100メートルを10秒や11秒で走る感覚と文章でほんの少しでも近づけるなんて、それだけでも結構すごいと思う。一人称だから主人公が落ち着けば一緒に落ち着いてもいいハズだし、そこは小説だしましてやクライマックスなら怪我とかアクシデントとかないだろうと頭の片隅では思いながらも身体は言うことをきかずドキドキしっぱなしで苦しかった。そのくらいシンクロしてたんだと思う。

 スプリンターとしての素質をどんどん開花させていく反面、その他の部分では新二がごくフツーの感覚の高校生だったことも大きいかな。何もわからず走る前にはただ緊張し、自分がやみくもに走るだけでいっぱいいっぱいだった1年生時。後輩が入り、自分の記録もチームとしての力も伸び盛りの2年生時。最後の学年としてインターハイを目指せるところまできて、チームを作るという点でもひとつひとつ自分たちで積み重ねていった3年生時。個人競技だけど自分が速くなるだけじゃなくて、チームとしての問題に立ち向かったりリレーという競技を通して走る以外の力が心にも身体にもついてくるのがね、うん、とっても等身大。

 新二だって蓮だって陸上の才能だけでは渡っていけないし、こういう3年間を積み重ねてきたからこそ、後半の「勝ちたい」という言葉が響くのだ。天才と言われながら実際は仙波に負け続け、それでもどこか走ることに淡白だった蓮が初めて悔しさを見せて「もう抜かれたくねえ!」って言った時はじ~んとしちゃったよ。ただ孤独に天才の高みを目指したわけじゃなく、ひとと走ってきて走ることが好きになったから出た言葉なのだ。勝負も記録ももちろん意識はするけれど、時にはただ走りたいという気持ちがそれを上回る。まっすぐな、光る道。本当なら見えるはずのないその道を自分も見たような気がして涙が出そうになったな。

 時っ々筆が滑って(笑)ちょっと爽やかすぎてハズカシイこと言っちゃったりするところもあったけど、でも全体的には言葉では言えない感覚をよく描いてくれたなーって思う。言葉にする前に自分をとことん見つめること、言葉にしなくてもいいということ。言葉よりもむしろあえて言葉にしないところが、年代も性別も超えて通じるもののような気がするのだ。

一瞬の風になれ 第一部  --イチニツイテ-- 一瞬の風になれ 第二部 一瞬の風になれ 第三部 -ドン- 佐藤多佳子(講談社)
novel | 佐藤多佳子
CM:0 | TB:0 |
| 日々是好日 |
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